興亞の大業  松岡洋右 



第四 興亞の大業


興亞大業の意義

 大陸に志す年諸君は、何を措いても先ず、昭和日本國民の大使命たる興亞の大業について、十分に正しい認識と、固い信念とを有たねばならぬ。此の意味に於て、私は先ず興亞の大業とは何であるかを、諸君の前に解明してみたいと考える。 興亞の大業とは何か?一言にして謂えば、夫れは、~武天皇の建國の御詔勅に現れた、八紘一宇の御拐~の實現であると謂ふことが出來る。

夫れ大人(ひじり)の制(のり)を立つる、義(ことはり)必ず時に随ふ。苟も民に利(くぼさ)あらば、何ぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)はむ。且(また)當(まさ)に山林(やま)を披拂(ひきはら)ひ、宮室(おほみや)を經營(おさめつく)りて、恭みて宝位(たからみくらい)に臨み、以て元元(おほみたから)を鎮むべし。上は則ち乾霊(あまつかみ)の國を授けたまふ徳(うつくしび)に答へ、下は則ち皇孫(すめみま)の正(ただしき)を養ひし心を弘(ひろ)めむ。然して後に六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩ひて宇(いへ)爲(せ)むこと、亦可からずや

とは、~武天皇が都を橿原にお定めになつた際の御言葉であつて、夫れは「日本書紀」巻三にみえて居るのである。即ち普く天下の民を、悉く我が家族の如くに思召し給う広大無辺の御仁慈と、万里の波涛を開拓し、大義を四海に布き給う、盛んな御拐~とが此の「八紘一宇」の言葉の中に溢れて居るのである。我が大和民族が、たゞの己惚れや、~懸り式の獨りよがりではなく、生きた人類史の事實に即し、亦現下の國際情勢に応じて、此の崇高雄渾な、~武天皇の御建國の御拐~を、大規模に大陸經營の上に實現し、進んで、亞細亞から全世界へと、皇道仁愛の道を宣布し、人類救濟の實を完うするとい謂ふことが、とりも直さず興亞の大業の理想でなければならぬ。
 私は我が大和民族の上に課せられた、天与の大使命が人類の救濟にあることを固く信ずるものである。勿論、自民族中心の思想、自民族史上主義の觀念は、何れの民族にも共通に存するものである。現に地球上に澄んで居る殆ど總べての原始民族は、自らが世界の中心であり、特に~の恩寵を豊かに享受せる、天の選民であるとの信仰を持つてとの信仰を持つて居るのである。總て物ごとは比較研究をせねは良く解らぬものであるが、アメリカのサムナーと謂ふ社會學者が、現住する原始民族や、歴史上の諸民族の思想を、縱に比較研究して、總ての民族に自己中心思想のあることを發見し、夫れを民族中心主義と名づけたのである。歴史的に最も典型的なものはユダヤ民族の選民思想であらう。此の自民族中心の思想は、原始社會に於けるが如き素朴な形に於てゞはないが、今日の文化民族も悉く之を有つて居る。現に支那民族は昔から自ら中華を誇つて居る。又白色人種、就中、アングロサクソンの優越意識は、u々張く現代世界を支配して居るのである。或一民族の世界救濟の使命感が、根據のない自己中心の選民意識や、獨善的な優越感に根ざすに過ぎないものであるか、眞に客觀的妥當性を持つた使命感に立脚するものであるかを、如何にして判定するかと謂ふことは、非常にむづかしい問題である。何となれば、其の民族自身の主觀的評價と、第三者たる他民族の見解とは決して一致する筈がなく、從つて結局水掛論に終る外ないからである。私は此の判斷の基準となるものが凡そ三ツあると考へる。第一は、其の民族の過去の歴史でゐる。第二は、其の民族の上に現に課せられて居る役割と、夫れを遂行する爲に採用されつゝある手段、方法及其の實績である。第三が、其の民族の内在的な本質的價値とでも謂ふべきもので、其の民族理想が果して人類を普く救濟し得る樣な客觀的價値を有して居るか、而して其の民族は、此の理想原理を忠實に追求し、實現するだけの眞實性と、實踐力とを持つてゐるか、更に、他民族をして承服せしむるだけの氣魄と拐~力を有するかと謂ふことである。
 若しも今日の人類が公平無私なものであるならば、此の三ツの標準に照らして、他民族の資格を間違なく判斷出來るであらうが、夫々に優越感を持ち、又嫉妬心や猜疑心を持つて居る以上、他民族の絶對優越性や、天與の使命を容易に承認することは中々あり得ないものと考へねばならぬ。從つて、我々大和民族の場合に於ても、此の三種の基準に照らして虚心坦懷に、又公平無私に、冷静な自己批判を爲すことを怠つてはならないのである。私は滿洲事變以來常に謂續けて來て居るのであるが、日本國民は一人残らず、伊勢大~宮の御鏡に自分の姿を映して、心を淨めて頂き、良心の曇りを取り去つて頂かねばならぬのである。興亞の大業が、我が大和民族の上に課せられた天與の大使命たる人類救濟の前奏曲であることを信ずるならば、我々は何を措いても、先づ己を空しくして、嚴肅に自らの資格を反省し、力量を檢討した上で、敬虔の念を以て謙虚に、勇敢に、而して忍耐強く、此の目的に向つて艶iせねばならぬ。大和民族が何等求むるところなく、死身になつて此の高い理想に向つて飽迄も邁進するならば、他民族も擧つて皇道に隨喜するの日が、必す來るに違ひないのである。
 大和民族の使命は、窮極に於ては世界人類の救濟にあるのであるが、差當り、之を極東に始め、東亞より全亞細亞、更に全世界へと、漸次に其の救の手を伸ばして行かねばならぬ。即ち、大和民族の世界救濟の手始めとして、先づ興亞の大業があるのである。支那事變は興亞の大業の道行であり、興亞の大業は、皇道の世界宣布てふ、大使命完遂への過程である。即ち聖戰と謂ひ、興亞と謂ひ、皇道宣布と謂ふも、悉く夫れは同意語に過ぎないのである。
 興亞の大業のイデオロギーは何か? 理想は何か? 此れは前述の如く ~武天皇の御詔勅の實現であり、天業恢弘である。併し、此の肇國の拐~の實現されて行く形式や、天業恢弘の方法は、大和民族の発達の歴史と日本國の置かれた周圍の事情、即ち世界情勢に應じて、種々に變つて來て居るのである。而して、大和民族の歴史を遠く遡つて尋ねると際限はないが、最近の背景を極めて大ざつぱに述べると、征韓論――日清、日露兩役――韓國併合――滿洲事變――聯盟脱退と謂ふ一連の歴史的事實の必然的歸結が即ち今次の事變であり、今次事變の結論が興亞の大業であると謂ふことになるのである。此の興亞の大業を通じて、皇道は極東から全亞細亞へ、亞細亞から歐米へ、而して全人類へと及ぶのである。皇道を國際的に解釋すれば、夫れは地球上の諸民族、諸國家をして各其の處を得せしむることである。明治天皇は明治元年三月十四日畏くも「億兆安撫國威宣布ノ御宸翰」を賜はつたのであるが、其の中に次の如き有難き聖句を拜するのである。

 今般朝政一新ノ時ニ膺リ天下億兆一人モ其處ヲ得サル時ハ
皆朕力罪ナレハ今日ノ事朕自身骨ヲ勞シ心志ヲ苦メ艱難ノ先ニ立
古列祖ノ盡サセ給ヒシ蹤ヲ履ミ治蹟ヲ勤メテコソ
 始メテ天職ヲ奉シテ億兆ノ君タル所ニ背カサルヘシ

此の 明治天皇の聖旨を國際關係に及ぼせば、各民族、各々國家をして各其の處を得せしめ、天の慶福に與らしめることになるのである。又曩に日獨伊三國同盟成立に當り 今上陛下の渙發磯遊された大詔に「萬邦ヲシテ各其處ヲ得シメ兆民ヲシテ悉ク其ノ堵ニ安ンセシム」と宣はせられたのは正しく夫れであつて、誠に畏き極みである。而して、繰返して謂ふが、興亞の大業は唯其の序幕に過ぎないのである。若し、大和民族が之に成功することが出來なければ、皇道の世界宣布などは思ひも及ばぬことである。苟もも皇道の世界宣布が行はれざる限り、人類は所謂眞の救濟と平和の聖光を仰ぐことは出來ないと謂ふのが私の信仰である。
 我々は徒らに獨り善がりに陷つてはならないが、少くとも歴史を振返つて見て、我々の誇り得ることは ~武天皇御創業以來、否、遠く~代よりして、大和民族は侵略や征服と謂ふことを知らない、眞の平和主義の民族であつたことである。日本の歴史には征服、侵略はない。綏撫と同化があるのみである。~代、上古より中世、近世そして現代に至る迄、大和民族の歴史には征服の跡がない。之に反して、西歐諸國民の歴史は終始一貫して侵略、征服の歴史であり、特に近世に於ける西洋史は、血を以て書かれた他民族制壓の歴史である、と謂ふも過言ではないのである。
 固より、我が大和民族は他民族に向つて絶對に武力を行使しなかつたと謂ふのではない。けれ共好んで武を用ひなかつたことは確かである。~武天皇が御東征に於てまつろはぬものを平げ給ふた場合を見ても、先ず使者を立てゝ忍耐強く利害得失を説き、和を媾じ降伏を勸め給ふた後、尚頑迷不靈にして綏撫の道なき者に對して、初めて武力を御用ひになつて居るのである。又橿原に於ける御即位の大典に際しては、敵の降將をして警衞の任に當らせておゐでになるのである。~功皇后の三韓征伐も亦、我が筑紫の治安を脅かされることを防止せんが爲に、止むを得すして兵を御進めになつたものであつて、少しも無用なる殺戮の跡がないのである。積極的な外征はたゞ豊太閤の朝鮮征伐があるのみであるが、夫れも直接の原因は明王の我が國體を辨へざるの非禮を膺らさんとしたところにあるのである。而して朝鮮に於ける我が諸將の戰争振りも實に義侠的であつて無辜の民を殺戮する等のことは殆どなかつたのである。
 此れと對蹠的なものは東洋に於けるイギリス人の征服である。抑々イギリス人の東洋發展の歴史は何に始まつたかと謂へば、西印度から金銀を積んで歸へる西班牙船の襲撃と掠奪に始つて居るのである。此の海賊や夫れと前後して行はれた奴隷狩りの齎らした、血のにじむだ巨億の金がイギリスを歐洲第一の富國たらしめ、東印度會社を設立せしめ、飽くなき征服の魔手を東洋に伸べしめるもとでとなつたのである。印度に於けるイギリスの征服史は氣の弱い日本人の目を蔽はしめせずには置かない程、悪虐の限りを盡したものであつた。隱謀譎詐と、老幼を選ばざる大虐殺と強姦と、大掠奪の連續である。有名なクライヴやヘスチングス等は、世界の寶庫たる印度諸王室の金庫を空にして東印度會社を富ませたが、同時に彼等自らは、此の二人の傳記者マコーレーむ所謂「英國の名の上に、永久の汚點を止むるごとき方法を以つて爲された」殘虐行爲に依つて、各々巨億の私財を積んだのである。
英國の飽くなき魔手は更に支那に伸びて何をしたか? 今は夫れに就て多くを語る可き機會ではないから第一、第二の阿片戰爭の名を擧げて置くに止める。此の戰爭が終始一貫イギリス側の侵略的陰謀に出でたものであつて、非は悉くイギリスに理は常に支那にあつたことは何人と雖否まないであらう。イギリス人の中にあつても、當時の大政治家グラツドストーンの如きは、「之程不正な、亦永久的不名譽を以て國家を蔽ふ樣に企てられたこと、之より甚しき戰爭と謂ふものは知らないし、又讀んだこともない。英國國旗は一の破廉恥的貿易を擁護する爲に、高々と掲げられて居る。若し現在支那沿岸に掲げられて居るのとは異つたやうに掲げられないならば、吾々は身慄ひしながら、英國國旗の見えない所迄後ずさりをしなくてはならぬ」と述べて居る。マコーレーと謂ひ、グラツドストーンと謂ひ、或は又「全印度の富を失ふとも英國の爲にシエークスピアを失ひ度くない」と叫んだカーライルと謂ひ、個人としては明かなる良心を以て正しくものを謂ふ者があつても、國民としてのアングロサクソンの世界政策は終始一貫して外道であり、畜生道であることを、其の東洋侵略史が明々白々に記録して居る。
 其の他スペイン、ポルトガル、オランダ、フランス等の、西印度及東印度に於ける發展の歴史は、何れもイギリスと大同小異である。バスコ・ダ・ガマの東方旅行に先だつこと二百年の昔から、遠く南洋に通商路を開き、原住民族の主權を尊重しつゝ、終始一貫平和裡に發展を遂げて居た日本の商人群を之等と比較して見る時、眞に天地の違ひがあるではないか。然も當時の日本は國内の最も亂れて居た、室町の末期から戰國時代の直後にかけての日本であつたことを考へると、大和民族の平和性を誇らずには居られぬではないか。勿論彼等は武勇に富んで居り、敢爲の氣象の溢れた冒險者であつた。然も偶々山田長政の如く、武力を役立てた場合に於ても、夫れは正義と仁侠との戰であつたのである。そしてイギリス人が印度の諸王族を騙したり、脅したり、放逐したり、虐殺したりしたのとは反對に、請はれて之と姻戚の關係を結ぶと謂ふ樣な、極めて日本人らしい情味の厚い所を示して居るのである。
 二百五十年に亘る日本の鎖國時代の夢を驚かせたものは、何時の間にかひたひたと四方から迫つて來て居た、西歐の侵略の手であつたのである。當時既に印度と南洋諸島は征服し盡され、老大支那も亦侵略の毒牙に傷いて植民地化の方向を開始して居た。而して此の西歐の蠶食を免れて、完全な獨立と自由とを失はないで居た國は、獨り皇國日本あるのみとなつて居たのである。平和を愛する、東海の小島國に過ぎなかつた日本が、貧婪飽くことを知らぬ此の西歐帝國主義的侵略の魔手を免れたのは、殆ど全く奇蹟と謂つてよいのである。斯くして、近世に至る迄の東亞は歐米人に隷属せる世界であり、亞細亞とは此の隷属せる世界と同義語であつたのである。維新以來我々の祖父竝父兄達は、上には萬世一系の 天皇を戴き下は萬民心を一つにし力を併せて、一方に於ては、一日も速かに歐米の新文明に追ひついて自らの力を養ふことに努めると共に、他方に於ては、歐米の侵略から自國を守り、又極東の平和を護る爲に、幾度か國運を賭して戰ひ戰つたのである。而して今や、我々自身の日本拐~が爆發して滿洲事變となり、續いては滿州建國、聯盟脱退を經て、今次の支那事變に身を挺して立ち、興亞の大業に向つて驀進しつゝあるのである。私は暫く、興亞の大業の背景としての最近の我々の日本歴史を跡つけて見ることゝする。
 浦賀灣頭一発の砲撃に、二百五十年に亘る鎖國太平の夢が破られた、日本の發見したものは、實に完全に包囲されたる東洋であつた。而して日本が開國と同時に先づ不可避の必要として感じた事は、自國を守ることが極東を西歐の侵略から護ることであり、逆に極東を西歐の侵略から護ることは、自國の安全を確保する唯一の途であると謂ふことであつたのである。之は實に明治維新の直前から直後にかけて、否應なしに、日本國民の自覺せしめられたところであつたのである。否、既に徳川の中期以降に於て此の事を自覚した先覺の士が幾多現れてゐた。徳川幕府の鎖國は一方的であり、從つて日本の欲すると否とに拘らす、西歐東漸の勢力の餘波は頻りに我が邊傍を脅したのであるから、當時先憂の士は、單に鎖國日本の消極的防禦のみならず、積極的に、大陸に或は海洋に乘出して、以て日本の實力に於て、東亞の安定を確保すべきことを説いたのである。
 興亞の大業の背景を日本の歴史に求むれば、遠く~代迄遡るのであるが今、明治以後に限つて之を見ても、征韓論以來日本の動向を支配したものは、東亞全體が其の處を得て居ない、否、不當に壓迫侵害され其の生存を脅かされてさへも居る、之は何とかせねばならないが、東洋を見渡して見て、夫れを爲し得る者は日本以外にない、他はョむに足りない、獨り日本のみが東洋の保全、東亞の安定の責任者であるとの自覺と、責任感とであつたのである。勿論、日本國民と雖生物である以上、自衞本能は持つて居る。是は、自國の利害や生存を全然忘れて、只管、東亞を西歐の侵略から救ふと謂ふことのみを以て自己の責任とし、絶對の愛他主義の立場から、征韓論を唱へ、日清、日露の兩役を戰ひ、滿洲事變に處し、聯盟脱退を敢行し、滿洲建國の大業を企てたと謂ふのではない。私は左様な偽善的な詭辯を以て、強ひて日本の立場や行動を合理化し、又理想化しようとは思はない。だが、明治維新以來、日本が、東洋諸民族に其の處を得せしむることと、東亞安定との爲に戰ひ續けて來たと謂ふことは事實である。而して、何故日本が斯かる道を辿つたかと謂へば、夫れは、世界特に東亞の客觀的情勢から謂つても、當時に於ける日本國民の自覺から謂つても、前述の如く、東亞の安定を確保することは日本を守ることであり、日本を守ることは東亞を護ることであつて、大和民族の興廢、存亡と、東亞諸民族のそれとは完全に一致して居たからである。
 鎖國の夢から覺めた許りの日本、一方に於ては西歐文明の吸收と追及とに、日も足らざる有様であつた維新初頭の日本、歐米人の眼からは勿論、支那人の眠から見ても、又朝鮮人の眼からさへも、ちつぼけな東海の小島國に過ぎない日本が、徹洋平和の責任者を以て任ずることは、寔に笑ふべきことであつたに相違ないのだが、當時の日本國民全體は謂ひ得ない迄も、少くとも明治政府の指導者達は、明らかに其の使命を自覺して居たのである。征韓論の如きものも、單に大院君以下の清國に對する事大主義や鎖國排外政策に對する、一時的憤懣と謂ふが如き原因に依つたのではない。大西郷等の巨眼は、既に西歐諸國の虎視耽々たる野望を觀破すると共に、東洋に於ける英露兩帝國主義の軋轢をも見抜いてゐたのである。既ち南洲翁等が此の機逸すべからすとして、極東平和永遠の政策の爲には、國内の物情尚騒然たるの状態にも拘らず、敢然として征韓の帥を出さんとした處にこそ、實に大義の前には怖れを知らざる興隆日本の眞骨頂が見られるのである。此の崇高な使命感と、不退轉の勇氣こそは、實に、今日萬難を排して興亞の大業の完遂に當らんとする吾々昭和日本國民の血管の中に、其の儘に脈打ち流れて居るところのものなのである。
 興亞の大業の背景としての日清、日露兩戰役を詳しく語ることは省きたいと思ふ。日清戰役に就ては、眠れる獅子として猶歐米諸國を恐れしめて居た老大國支那の無力を暴露し、露骨な西歐帝國主義の支那に殺到する傾向を更に激成し、延いて日本に對する脅威と極東の和平に對する日本の責任とを、却つて倍加せしめたと謂ふことを注意するに止めたい。日露戰役に於て、當時世界最強の陸軍國たり、又歐亞に跨がる魔の白人大帝國として怖れられて居たオロシヤに、小國日本が連戰連勝したる事實により、白人に虐げられたる有色人種と、バルカン始め白人種と雖所謂弱小民族等が、世界到る處異常なインスピレーションを受けるに至つたことが、西歴二十世紀に現れつゝある激變に對して、或は一番大きな拐~的温床を成したものではあるまいか。又此の戰役に依つて日本は世界強國の斑に、所謂一等國として列したのである。
 日本は南滿洲鐵道を中心として、初めて大陸に眞の足場を持つことになり、そして關東州の租借と朝鮮の併合とは、日本をして大陸への玄關口を完全に確保せしむるに至つた。日本は今や、單に自ら任するとか、さう自覺するしか謂ふのみではなしに、立派に強國の一つとして、東亞の安定保持の責任者たることを、客觀的にも承認せらるゝに至つたのである。そして更に世界大戰の結果、日本は名實共に世界三大強國の列に昇り、東亞の事は大小となく、日本を拔きにしては處理する事が出來ないと謂ふ迄に、日本の國際的地位は高められたのである。然るに、其の後歐米殊にアングロ・サクソン系の國々の我が國に對する壓迫と、遺憾ながら恐怖に驅られ、巧利主義に墮し、小慧しさに誤られたる我が國の外交とは相俟つて、漸次この皇國を其の當然の地位より引摺り下さんとした。滿洲事變は即ち之に對する日本拐~の反撃であり、皇國日本の眞の姿の再顯であつたのである。


日清戰爭の回想

 日清戰役以前の日本は、世界の眼から見れば、其の存在さへも知られて居なかつた、と謂つても可い位微力なものであつた。私は、十四歳にして渡米したのであるが、其の翌年即ち十五の時に日清戰爭ほ勃發した。私は少年の日に、遠く異郷の空から、此の祖國の存亡に拘る、運命的な戰爭を望んで小さき胸を躍らせた、忘れ難き思ひ出を有つものである。外國人の眼に映じた當時の日本の有りの儘の姿を傳へ、日本は初めから今日の如く偉い國ではなくして、陛下の御稜威と、諸君の祖父達や、父親達の撓まざる奮鬪とに依て、當時の微小から今日の偉大を築き上げたものであることを、年諸君に深く反省し、感佩して頂く資料として、拙著「少年に語る」の數節を、特に採録することゝする。
又本文に記述を省いた日清戰爭から日露戰役迄の期間は、興亞大業の背景としての空白を爲すものではなくて、拳匪亂を中心として、非常に重要な契機を藏して居るのであるから、併せ讀んで戴く爲に其の部分も一緒に轉載することゝした。
 私は十四の時に今の言葉で謂へばルンペン、此のルンペンはちつと大きくて世界的ルンペンになつてアメリカに渡つた。私の家は御維新後段々潰れて參りまして、たうたう私は十四歳の春アメリカに渡つて行つてアメリカでルンペンをやりました。すると十五の年に日清戰爭と謂ふものが始まつた。貴下方は學校でもう日本の歴史は大體先生からお習ひになつたと思ふが、日清戰爭は、明治二十七、八年にやつたんだ、と謂ふことだけは知つておいでになりませうが、失れ以上は餘り感じはあるまいと思ふ。
 所が明治二十七年に日清戰爭の始まりました頃は、世界で日本と謂ふ國は何處に在るのかさへ、知つて居る人は僅しかなかつた。其れは支那とか日本に來た西洋人は知つて居た。中には書物を讀んで知つて居る人も多少はあつたらうが、ヨーロツパやアメリカでは、大部分の人は日本と謂ふ國は何處に在るかさえ知らなかつた。私は覺えて居りますが、十四の時にアメりカの小學校、私の通つてた小學校に視學官が來ました。學校の受持の先生が私を呼び出して、日本と謂ふ國に就いて説明しろ、と謂はれて、地圖に就いて説明したことがあるのであります。さうすると、初めて、成程地圖には赤く塗つてゐる小さな島國があると謂ふ位を認めてくれたらしい。
 日清戰爭が始まりますと、多くの人は、日本と謂ふ國がある事を知らぬのであるから一體どういふ戰爭が始まつたのだらうかと謂ふ譯なのである。さうすると支那に日本と名の附く省が、即ち地方が一ツある、夫れが支那の中央政府に叛旗を飜した、それが日清戰爭と謂ふのだ、斯ふ謂ふ話をしてた人もあつた。ヨーロッパで可成りの國際公法學者の其の當時著した書物にもさう書いてあるのがあつたさうです。嘘の樣な話だが本當にこんな譯だつた。日本人は始めから俺の國は偉いと思つて自惚れて居るけれども、アメリカやヨーロッパでは、日本と謂ふ國は何處に在るか知らない者が、多かつたと謂ふ有樣でありましたが、さてそれからどうなつたか。
 私は十五歳でありましたが、子供心にも殘念であり心配でもありました。日本と謂ふ國があると謂ふ事を知つて居る者でも、多くは支那と謂ふあの大きな國の脇に海の中にちよこつとした日本の島がある。第一之を見たゞけで是は戰にならぬ、可哀さうに今に支那に非道い目に遭はされるぞと謂ふ觀方であつた。まるで提灯に釣鐘だ。日本と謂ふ奴は馬鹿な奴で、あんな大きな國にどうして喰つて掛つたかと謂ふ樣な話、私は日本人でありますからさうは思はぬが、斯ふ謂ふ米國の中に居ると、子供心にもつい心配であつた。それから毎日新聞を見ると、天津とか上海とか謂ふ所から來る戰爭の電報が載つて居る。大概日本軍が負けたと謂ふ電報です。たうたう鴨麹]を渡る戰の時に、私は餘り心配だから支那人の町に子供ながら行つて見た。それは支那人の町に行きますと漢文で戰爭の電報が掲げられて居たからである。今でも覺えて居りますが、鴨麹]の戰は支那の軍が大勝である。日本軍は大部分撃滅された。その日本人の血で「鴨麹]は爲に紅になつて居る、さうしてその鴨麹]の河に充滿して居る日本の將卒の屍、山の如くであつて、爲に徒して渡るべし」と書いてある。えらいことだ支那の兵隊が、日本人の屍で鴫麹]が埋まつて居るので其の上を歩いて渡ることが出來ると書いである。是は例の漢文「白髪三千丈」の類とは思ふたが、それでもそれを讀むと餘り好い氣持はしなかつた。そんなに負けた譯はあるまいと思ふが、兎も角それが鴨麹]の戰ひの第一報である。是は少し挿話的のことでありますが、面白いことには、始めは頻々として支那から來る電報が先、日本から來るのは何時でも遅れる、先に支那から來た電報では、何時でも日本軍が負けて居る。二、三日するとやつと、日本から新聞電報が凍る。それに依ると支那の電報は嘘と謂ふことになつて居る。そこで後には私共は上海や天津から日本軍がひどく負けたと謂ふ電報が來ると、それは必ず支那の軍隊がひどく負けたと謂ふ事であるとして、安心する樣になつた。さう謂ふ樣な譯であるが、驚いたのはヨーロツパ人とアメリカ人、日本は其の後連戰連勝、牙山と謂ふ所に於て本當の戰ひらしい戰があつた。是が世界を第一驚かした。それから其の中に從軍記者から日本が勝つたと謂ふ電報が來る。さうすると、最初に見くぴつて居つたゞけに反動を起して、あべこべに極端に走つて、日本軍はすてきに強いと謂ふ事になりました。
 或る外國の從軍記者の電報の中に、日本軍の行動は、まるで時計の機械みたようだ、きちつとして一分の狂もなく、きちきちと動いて居る。之には支那の兵隊も敵ふ筈がない、と謂ふ樣なことが書いてありました。それ位今度ほ西洋人が驚いた、數は日本軍は必ずしも多くない、支那の兵隊は却々多い、其の頃の支那の軍隊は、今から考へると名將軍が海軍にも陸軍にも居つた。海軍なんかは支那の軍艦の方がずつと大きかつた。日本の軍艦は小さかつた。軍艦の大きい小さいから謂つたら日本は負けるのが當り前、それが勝つ、何遍戰つても勝つ、茲に於て世界が非常に驚いたのたあります、と謂ふと貴下方は直ぐ早合點して、それは日本の強いのには驚いたらうと鼻を高くなさらうが、さうじやない、實は支那が餘りにも弱いのに驚いたのです。成程、初め思つたよりか日本軍と謂ふものは強い、あのどうも小さい身體、脚は曲つて居つて餘り風采の好くない人間だ、併し戰爭をやると存外強い、それ位に感じたが、まだ日清戰爭位では日本軍が本當に強いとか、日本人は本當に偉いとか思はなかつた。あの大きな身體をして居る支那が餘りにも脆いのでそれで驚いたのであります。それ迄は歐米の強い國でも、支那を侵しては參りましたけれども、半分は恐がつて居つた、あの大きな圖體の國、その頃でも三億以上も人口があつた、さうして四千年の歴史を有つて居る。歐米人が未だ野蠻人であつた時代、既に中國人と謂ふものはそれは偉い文明を有つて居つた。それであるからして此の頃は保守的で頑固で改めぬから餘程遅れては來たけれども、併し仲々底力のある國であると斯う思つて居た。餘り支那をいぢめると元來居眠りをして居る象と同じであるから、此の象が眼を覺して飛び上つたら大變だ大事になるかも知れぬぞ、之が當時歐米人の想像してた支那であつて、歐米は密かに半ば恐がつて居つたのであります。所が、小さな日本と太刀打したら、たわいもなく負けた、それぢや是は象ぢやないぞと謂ふ話になつた。眠れる象であると普通謂つて居つたが、之はぞうかと謂ふ話、いや象は象だ、その象が何うして立ち上つて日本と鬪つて脆く負けたのだらう、茲に疑ひが出て來た、そこで能く考へてみたら、象は象だけれども足は土で出來て居たのだ。それで立ち上つたら土の足が脆く崩れてしまふたのだ、と謂ふ話になつた。即ち歐米人が斯ふいふ事に氣がついた。
 之は私が形容して貴下方に話すのではありませぬ。今話した通のことが常時歐米の新聞、雑誌に載せられて居つたのを私は讀んだのである。


團匪事件と日本

 さあ、それから大變なことが始まつた。それ迄は餘り支那をいぢめたりなんかするとゞんな事になるかも知れぬと思ふて、少々こわがつて居つたのが、日本と戰をして見ればたあいもなく負けたのである。はゝあ此の象の足は土で出來て居る、だからてんで立ち上がることが出來ないのだ。それぢや殺してしまはうか、そして皆が寄つて體をバラバラに切つて分け樣ぢやないか、と謂ふことになつた。
 之から貴下方には難しい言葉だが支那分割論と謂ふものが、愈々眞劍に考へ始められたのであります。支那の何處かをブン取らうぢやないか、貴樣はあの邊を取れ俺は此の邊を取る。之を切つて分けてしまはうぢやないかと謂ふことになつた。さうするとどうも日本はたまらないことになつた。支那には勝つて見たけれども、ヨーロツパやアメリカの強い國が、支那にドンドン出つ張つて來て、直ぐお隣の支那を殺して、さうして分けてしまひ、そこに自分の國の出張所を出してくれた日には、日本はたまらぬ。日本はさう謂ふ事を起さす爲に戰をやつたのでも何でもない。支那が餘りひどい事を謂ふて、日本と結んだ條約を無視して朝鮮に這入つて、我物顔をするものだから、然も日本の國を危うくするものだから、已むを得ず之を懲す爲に起つて鬪つたのだ。支那が參つたと謂ふので、それで日本は月的を達した。所がそれだけで治まらぬ事になつた。今謂ふた通り歐米の列強殊にヨーロツパの強い國がドンドン出つ張つて來だした。餘り支那に出つ張つて來たから支那の人達も亦たまらぬ事になつた。これぢや殺されてしまふ。どうかさう謂ふ事のない樣に、と、かねてから心ひそかに心配してたのは日本であります。併しそれがお隣の支那の人達にはよう分らぬ。
 日本は、それから、何とか支那を叩き殺して分けると謂ふことを防ぐ道はないか、と思つて一生懸命盡したのでありますけれども、何しろヨーロツパの強い國の勢は、日を逐ふて盛んになつた。そこで支那の人達も今謂つた通りたまらぬ事になつた。それが明治三十三年の有名な團匪事變と謂ふものになつたのだ。團匪事變とは、難しいことは略して置きますが、一言で謂ふたら、支那人が之ではたまらぬから、支那から白人を追つ拂へと謂ふ運動を盛んにやる樣になつた、そこへ迷信家が出て來て、俺達の體には鐵砲は當らぬ、當つても死にやしないと謂ふさうして起つたのが團匪事變と謂ふものです。そして西洋人を見附け次第叩き殺すと謂ふえらい運動が捲き起つ上のであります。
 此の團匪事變と謂ふものゝ成行き如何では最早今日支那と謂ふ國は地球上に、地圖の上ではなくなつて了ふた譯である。たうたう此の騒ぎが激しくなり、北京、今では北平と謂つて居る彼處に各國の公使舘が集まっで居る場所があつて、そこを公使舘區域といふてるが、其の公使館のある所を圍んで、各國公使達以下外人を鏖穀に掛つたのである。
 そこで歐米の國々は、兵隊を支那に送つて、一時も早く北京に居る自分達の公使其の他を救はうとした、さうして日本政府に、貴下も仲間に入つてくれぬか、と謂ふ事を謂つて來た。此の時に日本でも此の仲間に入るべきか、入るべからざるか、と相當議論があつたのでありますが、遂に日本でも矢張り日本の公使も居り他に日本人も其の中に居るので、それを救ひ出さなければならないのみならず、萬一にも各國公使達を救ふことが出來ないで支那人が彼等を鏖殺しにする樣になつたら、之を口實に、支那と謂ふ國はそれこそ欧米諸國が寄つてたかつて分割してしまふに相違ない、殺してしまふに相違ない。それはさすことが出來ぬと謂ふ考から、日本は支那が憎いので兵隊を送つたのではない、支那を救いたい爲に、兵隊を送る事にしたのであります。さうして日本軍が何時でも第一線に立つて戰つた。
 北倉の戰なんといふものは非常に猛烈な戰ひであつた。各國聯合軍が北倉を突破することは不可能と思はれた。その時に日本軍は先頭第一に進んだ、其への後にも思つた事でありますが、歐米の兵と日本兵が一緒になると、何時も日本兵が一番先に待つて一番先に死ぬのである。一方から謂ふと馬鹿なやうに思はれるが、それが私共日本人の正直な偉い所なんです。日本軍が居つたればこそ北倉を突破し、さうして遂に、まだ各國の公使其の他を鏖殺にしない内に、聯合軍といふものが北京に著き得たのであります。もう北京に居る公使其の他は命旦夕に迫つた、明日にもやられるかと謂ふ有樣であつたのを、やつと間に合つて、さうして之を救ふた。其の時に支那では、皇太后の西太后と謂ふ方が、宮廷の方々を率ゐて西安といふ所に逃げて行かれたのである。
 そこで聯合軍が暫くの間北京を占領して居つた。それから此の後仕未の談判が始まつた。此の時の公使が有名な、後に侯爵になられた小村壽太郎といふ人であつたが、此の談判が始まるや、日本の全権として談判に當られた。此の人の談判を通じての一つの大きな考は何であつたかといふと、何とか支那と各國の間に立つて執り倣してやつて、支那にひどい傷が付かぬ樣に、之が爲に支那が分割さるる樣なことのないやうにと心配されたのである。其の心配の結果のみとは申しませぬが、併し餘程それが力になつて支那は相當ひどい罰金も取られましたし、又此の運動の發頭人と見られた親王さん其の他がひどい罰を受けて、銃殺された人も多少ありましたが、大體に於ては分割もされず、再び起てぬ樣な疵も附かずに濟んだのでゐります。
 そこで此の團匪事變に就て日本はどうなつたか、世界の人の眼にどう映つたかといふと、始めて白人以外のものが、即ち白人とは顔色の異つて居る日本人が―「元來白人は顔の色が白うなければ劣等民族と思ふ癖があるが―世界の歴史始まつて以來初めて、白人に非ざれば人でないと思つて居る其の白人の兵隊共と肩を並べて對等で戰つたのであります。之はえらい事で、少くとも戰場では平等と認められたのみならす、やつて見ると此奴が一番強いと謂ふことを一緒に戰つた歐米の兵隊さん共は思つた。併し其の事が歐米の本國でも判つたかといふと、どうも彼奴は強いぞとは思つたが、またまた白人より強いとは思つて居なかつた、たヾ前の日清戰爭で勝つた時よりも、少しは餘計尊敬する樣になつた、人間らしいと思ひ出した。
 それからどうなつたか、支那は兎も角分割はされなかつたが、ヨーロツパの強い國が取りたいものを取らすに居る譯はない。茲に於て、外交戰といふものが酣になつた。兵隊で取る代りに今度は外交で、手練手管で支那の利權を取らう、一例を謂へば、彼處に鐵道を敷設しやう、何れは分割されるのだから、此處か取りたいと思へばそこを取るに都合の宜い樣な鐵道線を敷かう、といふ樣な運動が次第に激しくなつて來たのであります當時の日本人は東洋全體の爲に、殊に畏れ多くも我が 明治天皇樣は、日本だけをお考へではない、支那を初め、支那以外の國も即ち東洋ぜん體を安穏にしてやりたい、斯ふいふ思召であつた。之がまた日本の大方針で、そこで日本は非常な心配をして來たのであります。 (以上拙著「少年に語る」)


民族協和

 滿洲事變は、日本の東亞に於ける當然の國際的地位と、近接地域に対する強國の責任とを拔きにしては了解出來ないのである。日露戰役迄は日本は消極的防衛の立場にあつた、と謂ふべきであらう。然るに滿洲事變に至つては、積極的に、日本が東亞解放に乗出したのであると謂ふことが出來る。
 日本は、消極的に東亞を護り、自らを守るといふ立場から、一歩、否、數十歩も數百歩も踏出して、東亞を西欧の帝國主義的侵略から解放する爲に、飛躍的、積極行動を起したのである。新しき東亞の建設、即ち東亞新秩序の樹立に乗出したのである。と謂つても、日本が積極的に大陸の侵略に乗出したといふのではない。歐米人は、滿洲事變や支那事變を以て、支那に於ける舊來の西歐帝國主義と、新しき日本の帝國主義との角遂であり、衝突であると見て居る。支那自身に於ても亦、日本を以て時間的にも、地域的にも最近の侵略國と誤認し、或は曲解するものが尠くないのである。が、日本の意圖が帝國主義的侵略とは、凡そ縁遠きものであることは、滿洲建國の事實に照らし、又今次事變の處理に關する、第一次近衛聲明以來率直、眞摯に表明された日本の態度を見れば、容易に肯かれることであらう。
 滿洲事變は柳條溝事件に端を發したのであるが、それは單にきつかけを爲したに過ぎないのであつた、原因は深く且遠いのである。建國前の滿洲の地は東亞全體の安定から見て、極めて厄介千萬な存在であつた。抑々或國家が其の領土に對して正常に主權を主張する場合には、單に古くから自國の領土であつたと謂ふ記録的な事實だけではなしに、現實に實力を以て、其の地域の内外の保安と秩序維持の責に任じ、其の實を擧げて居なければ、隣接國にとつては此の上なき迷惑の種子となるのである。然り而して、事變前の滿洲は、單に日本にとつてのみならず、東亞全局の安定、從つて世界平和の立場から見て、斯かる意味に於ての、典型的な危險地帯あつたのである。張家父子二代に亘る地方政權に對しては、中央政府の支配は極めて不十分なものであつた。内に於ては郭松齢の反亂等があり、外に向つては蘇聯と事を構へる等の事があつて、日本としては多くの迷惑を蒙つたし、若し日本國の嚴然たる存在がなかつたならば、日露戰役に於ても、滿洲の地はどうなつて居つたか解らない運命にあつたのである。滿洲をして事なきを得せしめたものは、支那の中央政府の力ではなくして、實に日本のお蔭であつた」とは、否定することは出來ない事實である。然るに中華民國は、ヴエルサイユ條約後に於ける國際政治の風潮に乗じ、歐米の日本壓迫に便乗して、所謂喪權回収に熱中し、滿洲の地から日本の勢力を驅逐せんが爲に、凡ゆる弄策を事とするに至つたのである。
 抑々滿洲の地たる、日清戰役の賠償として、其の一部分は一度日本に割讓された因縁の地である。三國干渉誘致して巧みに支那はそれを取返し忘だが、後に李鴻章・ロバノフの密約なる闇取引によつて、支那の政治家から舊露に賣渡されて居たやうなものであった。それを、日本は十萬の生靈と、當時にあつては國民の負擔に餘る程の、巨額の國帑とを犧牲として、支那の為に奪回し、保全の實を全うしてやつたと謂ふ、二重因縁附の土地である。若し此の土地を失地と呼び得る國があるとすれば、それは支那ではなくして日本である。否、舊露でさへもが、此の土地に対しては支那以上に權利を持つとも言ひ得るのである。中華民國政府竝に張政權は、滿洲現地に於て、凡ゆる手段方法を以て、不當に日本を壓迫するのみならず、支那全土に亘り、日本を侵略國なりとして、下は幼稚園より上は大學に至る迄、徹底せる抗日ヘ育を施して、純眞なるるべき第二國民の腦裡に、不惧戴天の仇敵日本なる誤つた、日支那の爲にも此の上なく、不幸の種子である惡觀念を植附けたのである。中華民國は排日の外交政策を強化するの目的を以て、蘇聯に接近し、所謂容共抗日の國是を定め、一方欧米列強の力を誘導して、日本の勢力を大陸より完全に追拂はんと企圖したのである。斯くて日本の生命線たるべき滿洲は、其の生命の安全を脅威する内臓癌と他したのである。斯くの如き情勢の下に於て、偶々滿洲事變は勃發した。此の事變に於て勝利を收めた日本は、滿洲を直ちに自國の領土たらしめても何等差支へない幾多の理由を有して居たにも拘らす、敢へてそれをしなかつたのみならず、保護領にさへもせずして、獨立国たらしめたのである。本國から塞外の地として特別扱ひされてゐた滿洲の土地柄や、其の大部分が無知文盲者である住民の性質等を考へると、之を領土又は保護領と爲すならば統治のし易い場所であるが、獨立國として指導するとなると事は中々面倒な所である。而も日本は敢へて之を獨立國とし、入會地的な滿洲の状態を其の儘に肯定して、茲に五族協和による新國家の建國を見たのである。 五族協和は ~武天皇の御詔勅に示された八紘一宇の御拐~、我が 天皇政治の傳統たる「統らす」の大御心を現代に生れさんとする企てゞあつて、日本は、此の悠久に亘る傳統的大拐~を、二十世紀の世界に實現する手始として、新しき國家滿洲國を創建したのでぁる。日本が、滿洲事變を一轉機として、防衛より積極的な大陸經營に踏出したと謂ふ所以は實に茲にあるのである。滿洲國の建國拐~たる民族協和は、其の理想に於て崇高であるばかりではなしに、現實の國際政治の上から見ても、最も健實な實踐を有する國家原理であることを、今次の第二次歐洲大戰が、現に我等の眼前に於て實證しつゝあるのである。ヴエルサイユ條約に於ける歐米の指導的政治家達は、國際政治の理想主義に立脚すると解し、所謂民族自決主義を標榜して、歐洲に幾多の小獨立國を拵へ上げたのであつた。此の機械的に急造された民族主義小國家が、如何に砂上の樓閣の如くに儚いものであつたかは、現に我々の知る通りである。彼等は、歐洲に於ける平和の保護として役立たなかつたのみではない、實に第二次歐洲大戰の動因となり、一度び第二次歐洲大戰の勃發するや、新舊多數の小國家の存在は何等英佛側の安全保證にすらもならずして、却つて隨處に聯合軍のアキレスの踵となつたのである。 今日の世界は最早完全なる獨立國家としての小國の存在を許さないのではあるまいか。曾てはローマ法皇のヘ權下に統一され、一體としての文化を持つた歐洲は、ルネサンスを經て個人主義・自由主義の風潮の擡頭と共に、幾多の近代的國民國家に分裂し、特に資本主義勃興の波に乗つてu々此の傾向が助長されたのである。然るに此の歐洲の個人主義・自由主義・資本主義を生んだ原本的のカは、同時に又立代科學の急速な進歩を促し驚異すべき多くの近代的發明・發見を為し遂げて、人類の物的文化の上に大變革を齎したのである。特に蒸氣・電氣・ガソリン等の動力を自由に支配することによつて、二十世紀に入つてから交通・通信等に未曾有の變革を齎し、著しく地球を縮小せしむる結果となつた。即ち世界は或意味に於て、時間的、空間的、物理的には一つとなりつゝあると謂ふことが出來るのである。直ちに世界が一ツにならない迄も、今日の交通・通信のスピードを以てすれば、現に存在するが如き小國の分立は寧ろ非常な障碍であり、ハンデイキャップであつて、少くとも世界は幾つかの少數大ブーロックに纏らなければ、不便であり不都合であるばかりでなく、到底行かないと謂ふ形勢になつて來たのである。
 之とならんで現今に於ける生産機關の發達は、物貨の大量生産を可能とし、人口の都市集中を招來し、土地の廣さの割により多くの人口を支へ得るに至つたと共に、スピードのかゝつた大量生産機關の必要とする、原料や動力資源等の確保の爲に、叉其の莫大なる生産物の消費市場の確保の爲に從來の領土的配分を甚だ不合理なものたらしむると共に、一面愈々以て多数小國の存在を困難ならしむるに至つたのである。既に久しく資源と市場とに於て獅子の分前を持つた、先進國はu々障壁を高くして之を守らんとし、それを有せざる、或は持つことの乏しき、後進國にして強國たるの要素と氣力とを持てる國は、新しく割り込まんとして、茲に世界不安を招來するに至つたのである。之は、第一次世界大戰の最も有力な原因であつたと謂ふことが出來る。幸か不幸か、第一次歐洲大戦は、所謂持つ國の勝利に終り、持たざる國は、其の代表たる獨逸を筆頭として、u々抑壓の憂目を見ることゝなつたのである。而も底止することを知らぬ新機械の威力は、最早古い人間の拐~では支配しきれなくなつてしまつた、より高い理想主義の拐~が人類を支配せざる限り、人間は機械の奴隷たらねばならぬ運命の下にある。戰勝國も敗戰國も、共に機械の支配の下に立たされた。資源と市場の分配の調整は新しい機械に適應した新しい拐~を以て壊されねばならないが、人間の拐~は機械と歩調を合はせて進歩することが出來ない爲に、否、傳統とサイエンスとは常に衝突する爲に、領土と、資源と、市場との公平な再分配は、口に謂ふ可くして、未だ容易に實現すべくもない。而も機械は冷徹であり貪婪である。之に追隨する爲には、曲りなりにも、世界の經濟で政治や、外交の上に何等かの改變が餘儀なくされる。斯くして生れて來たのが、即ち經濟のプロツク化であり、アウタルキーの思想竝に其の實踐である。 此の意味に於ても亦、從來の國家竝に領土的區劃は不合理であり、之等現存の制度は、文化の物的基礎たる進歩した機械生産に對して、既に久しく不適應の状態に陥つて居るのでゐるから、當然修正さるべきものなのであらう。唯人間の心と謂ふものは、一度適應した社會の物的條件に固執して、其の條件がとつくの昔に變革されて居るにも拘らず、容易に新しき條件に適應し得ない、厄介な代物なのである。或社會心理學者が喝破したやうに、「若も人間行動の最も顕著な特異性があるとするならばそれは取りも直さず反復性である」のであつて、環境の變化に常に取殘され勝ちのものなのである。人間が十分に此の點に目覺めて、自分自身の創作たる機械文化を自由に支配し得るやうな、聰明な心構を生み出さない間は、恐らく世界に眞の意味の平和はないであらう。第二次歐洲大戰が、何れの側の勝利に終らうとも、或は何らかの妥協を以て媾和が案外速に成立しようとも第三次・第四次・第N次の世界戰爭は引續いて起つて來るであらう。とまれ人間は完全に機械に適合出來ない迄も應急の順應は爲さねばならぬから、世界經濟の上にブロック化が生れて來たのである。而して、日本と支那大陸とは、其の地縁的・歴史的な宿命によりて、又日本が近代工業化された國であり、支那大陸が殆ど全部未開發の國士であること、更に其の天然資源の分布の状態等に盤みて、國際經濟に於ては、當然日支は一體となつて完全なるブロックを形成すべきであり斯くすることによつてのみ、日本と支那とは共通の繁榮と慶福とに與ることが出來るのである。此の事は、少しく冷靜に物を看る眼を持つ者であり、虚心坦懷に物を考へる理性を持つ者であるならば、容易に肯定せざるを得ない必然的事實なのである。
 日本と支那とが脣齒輔車の關係にあると謂ふのは単なる形容ではない。上述し來つたやうな國際政治的・國際經濟的事情を冷静に檢討するならば、此の兩者は相互に離れては其の安全も發展も保證されないと謂ふことは明瞭であらう。日本と支那とは、國防と經濟生活との兩方面から考へて、文字通に不可分離の關係に置かれて居る。日本が衰頽亡滅するならば、獨立國としての支那は、即刻地球上から消去る運命を持つのであり、支那が不統一と劣弱の現状を維持し、半獨立國、半植民地の状態を脱し得ざる限り、弱き隣邦を持つ日本は、枕を高くして眠むるこ上を許されないのである。況や、若しも、歐米の資本主義的帝國主義の勢力を借りて、自己の守護者たる日本を卻けんとするならば、それは支那が自ら手足を殺ぐことであると共に、斯様な惡意を藏する厄介な劣弱國としての中華民國を、隣邦として持續けることは、日本にとつては到底忽び得ぎる所である。「雨降つて地固まる」で、支那事變の結果は日支兩國の關係を正にあるべき状態に置くことゝなるに違ひない、否、さうあらしめねばならない。手つ取り早く言へば、日支兩國が虚心担懷共に圖つて雙方の自發的合意により一國家を形成することが、東亞の安全と繁榮とを確保する所以であるとも考へられないことはない――現に歐洲の弱點は、彼の小大陸に大小幾多の國々が各國境を固め、關税障壁を高くして居ることにあり、其の反對に米國の強味は、彼の廣大な北米大陸に四十八洲が一國を成して、國境無く、關税の障壁を有たざる點にあることに鑑み、幾多の歐洲聯邦論の生れて居ることを、我々は大いに參考とせねばならない―人間が理性の判斷のみで働く純然たる合理的存在であるならは、それも出來るかも知れない。だが、人間は合理的存在である以上に、感情的・本能的な存在である。日支同文同種が、久しく唱へられて居るにも拘らず、両國民は歴史・傳統・言語・風習・宗ヘ等を異にする、尚その上に獨立國としての面目もあるので、兩國が一國家を形成すると謂ふことは不可能である。それが仮に可能であるとしても、必すしも望ましきことではない。要は日支兩國が各獨立しながら、速に不可分一體の同盟國―國防・産業・經濟上の同盟國となることである。特に兩國は思想一體の同盟國とならねばならぬ。此の點に關しては特に中華民國人上下の反省を求めたいと思ふ。滿洲國が、日本と不可分一體の同盟國を形成することにより、如何に政治の能率を高め、産業の發展を遂げ面目を一新して、三千萬民衆の慶福を増大せしめたかに刮目せんことを切に望む次第である。私は思うてここに到る時、常に佛者の所謂業をしみじみど考へさせられるのであるが、不幸にして滿洲國が差當り日本の眞意を誤解し曲解する支那國民を、抗日・排日に驅り立てる要因、又は口實になつて居ることは、辭むべくもない事實である。併しながら、何と謂つても解りよい中華民國人のことであるから籍すに時を以てすれば、此の新國家の實績と、其の東亞安定勢力としての役割と、日本の何等野心のない清淨潔白さ等を看取することが出來るやうになることを、私は確信する。其の曉には、滿洲國は、逆に日支兩國を繋く、大切な楔の役割を務めることになり、日支兩國人の心の化合を助ける、觸媒の作用を爲すものとなるであらう。是れ即ち、私が支那事變は滿洲事變の續きであり、興亞の大業は滿洲建國の延長であると謂ふ所以である。

日・滿・支の開係

 興亞の大業が満洲建國の延長であるとの私の主張に對して、隣邦人の誤解のないやうに特に念を入れて謂つて置かねばならぬことは、日本は滿洲國を日本化し支那を滿洲國化せんとするが如き意圖を有するものではないと謂ふことである。日本の望む處のものは、一日も早く支那が近代國家として統一されることである。日本は終始一貫支那の自主獨立を望み、且現に過去數十年來、生命かけで共の保全を援護し來つた唯一の國である。遺憾ながら、支那は今日迄近代國家としては統一されて居ないのである。が、併ん今や其の氣運には向つて居るのではなからうかと思はれる。日本は誠心誠意夫れを援助せんとして居る。汪牙ハ氏を首班とする新中華民國を極力支持しつゝあるのも其の爲でゐる。今次事變の收獲は最惡の場合に於ても少くとも支那が初めて、新しい意味の近代的な統一國家になると謂ふことであると私は信じてゐる。大國と謂ふのみで、眞に統一の實を持たなかつた舊支那が、完全に統一された鞏固な生氣溢るゝ新支那を産み出すことが出來るならば、我々日本人の企圖する興亞の大業にとつて、眞に重要な基礎の一部分が出來るのである。そして茲に日滿支一體の新秩序が形成せらるゝであらう。吾人の新しき支那に對して要求する處のものは唯一つである。それは新支那が孤立せる弱小國(版圖の大にも拘らず)とならざることである。
 而して、さうならぬ爲には、新支那は其の成立の初めから日満兩國と一心同體となつて、東亞の安定に任ずるの責任を取らねばならぬ。其の限りに於て、日滿兩國と有無相通じ、長短相補ふ同胞愛・連帶意識・相互扶助の拐~を持たねばならぬのである。即ち新支那は、近代國家として統一さるゝ過程に於て、直ちに、同時に東亞新秩序の一環として組職されねばならぬ。
 日滿支三國を打つて一丸とする東亞新秩序、それを枢軸とする大東亞共榮圏體制は、彼のヴエルサイユ會議の生んだ國際聯盟の如き、空虚な夢幻的存在であつてはならぬこと勿論である。五十幾國が平等の権利を持つ、國際聯盟と謂ふが如き非現實的なる組織を以て、一切の世界紛爭、乃至國際問題を處理せんとすることは、理想論としては別問題であるが人類發達の現段階に於ては結局「バベルの塔」に終るべきユートビアに過ぎないのである。私は年來此の事實を指摘し警告し續けて來たのであるが、現に國際聯盟は、あの態たらくになつたではないか。日本は東亞新秩序の指導者、大東亞共榮圏の事實上の盟主として、自己の實力と責任とに於て、内外に對して飽く迄も大國としての權利を主張し、且其の實を擧げなければならぬ。即ち國際聯盟の設計者の甘き空想にも拘らず、今日の世界には大國の勢力範圍なるものが嚴然として存在するのであつて、何國にせよ、若し他の大國の勢力範圍に鍬を入れ來るならば、結局戰爭を招來せねば已まないと謂ふのが、遺憾ながら國際情勢の實際に立脚した結論である。大國としての日本の勢力範圍たる大東亞共榮圏に對して、筋道の立たぬ他國の介入が行はるゝが如き場合があるとしたならば、日本は逡巡するところなく斷乎として、之を排撃し、以て東亞防衞を完うするの覺悟を持たねばならぬ。が、それと共に、或はそれ以上に、日本として努めねばならぬことは、飽く迄も滿支兩國民を信ョし、彼等を誘掖指導して、一日も早く、相共に責任を分ち合ふことの出來る、強力なる同志國民たらしめるやうにすることである。何となれば、善き指導者は一切の権利と責任とを獨占する代りに、出來るだけ之を分與し得るやうな良き同志を發見し、訓練し得る者でなければならぬからである。而して此の同志の結束は、高き共同の目的を持つ時に於て最も鞏固である。日本は滿支兩國をして其の各の安全と繁榮との爲に、日本の力にョらしむると謂ふだけでは足りない。利害の打算のみに基つく結合の紐帶は甚だ脆弱である。滿支兩國をして、共同の高き目的に向つて邁進する同志または協力者としての誇と、責任とを持たしむることが、日滿支三國をして眞に一心同體たらしむる力である。然らば、此のより高き、より大いなる共同の目的、共通の使命とは何か? それは先づ第一に、日本が滿支兩國と相携へて、大東亞の諸民族を、西歐帝國主義の制壓と搾取から解放することでなければならぬ。
 私は今更白人禍を唱道したり、人種戰爭を使嗾したりしようとするやうな醉興人ではない。否、私は總べての偏見を忌む者である。けれども、世界人口の僅かに四四パーセントを占むるに過ぎない今日の白人種が、過去四世紀の間に、アメリカ・オーストラリア・オセアニア・アフリカ而して亞細亞の大部分を征服し、原住種族を殆ど奴隷化して、地球の七一パーセントを支配下に底置いて居る事實を、我々はどうして坐視し得るであらうか。東亞民族・全亞細亞民族・全世界の有色人種は、確に其の處を得て居ないのである。此の不自然と不正とは、斷じて許容さるべきではない。日滿支三國民の責任は實に重く、使命は甚だ高いのである。 日滿支三國民は、爾餘の亞細亞同胞民族の不幸な運命を直視し、外侮の甚だしきを反省せねばならぬ。兄弟墻に■(もんがまえに兒)いて、貴重な人命と、武器と物資との消耗を續けることを、出來るだけ速に止めねばならぬ。私は自分の立場上からも、外交問題には出來るだけ觸れないことにして居るが三國民が深く反省するならば、自らそこには道が拓かれることを確信する者である。
 以上、私は全東亞民族・全亞細亞民族・全有色人種の解放てふ、高く大いなる目的の名に、日滿支三國が血の結盟を爲すべきことを説いたのであるが、それは決して新しき人種戰爭を示唆するものでないことは、豫め斷つて置いた通りである。私は有色人権が現に不當なる制壓を蒙つて居るが故に、其の解放を呼ぶのであつて。地を換へて、白色人種が奴隷化されて居るならば、人道と正義の名に於て、其の解放を求めることに躊躇しないのである。だが、人種間の差別待遇の撤廢を求めるとか、東洋民族を西歐の桎梏から解放するとか謂ふことは、単に自國、自民族の利害のみを思念するに此すれば、其の理想が高大であると謂ふことは出來ても未だ何といつても消極的であつて、眞に崇高偉大なる、日本皇國の大理想たることを誇るには足りないのである。皇國日本の大理想は、實に世界全人類の救濟にあるのである。此の大理想の旆の下に、東洋拐~文化の名に於て、滿支兩國を合同せしめ、相携へ相盟んで、新世界文化の建設に邁進せんことを誓ふに至つて、三國の締盟は眞に金剛不壞たるを得るのである。

                    l     皇道による世界救濟

 西洋を物質文明、東洋を拐~文化の國として、判然と區別するのは非科學的な分類である。何れの文明、何れの文化と雖拐~と物質の兩面を有せざるものはない。唯だ、十九世紀に於て其の頂點に達した近代の西洋科學文明が、極端なる機械論・物質主義に墮したことは否定出來ない。而して、此の西洋の近代的な科學文明に對して、日本文化の傳統的特徴が拐~主義にあることも亦、辭むべからざる事實である。更に西洋人が物慾旺盛であるのに對して、日本人が物慾に恬淡であること、西洋人が個人主義であるのに對して、日本人が家族主義であること等も、之を拒むことが出來ない。日本人と滿支人との間には、同じ東洋人と謂つても大いに民族心理的性格を異にするものがあるにはあるが、其の拐~生活の共通な色調に於て、見逃すべからぎる共通の東洋的特異性が認められる。特に西洋に於て殆ど亡滅したかに見える、忠孝の道コ的情操の如きに至つては、滿支人の間には未だ其の根源の失はれてゐないと謂ふ證據を見出すのである。然り而して、今日の世界空前の行詰りを招來し、人類史上未曾有とも謂ふべき危機を誘發したるものは、貨に此の西歐人の物質本位の科學文明であり、物質主義であり、自由主義であり、個人主義であるが故に、之を救濟し得る唯一の原理があるとすればそれは皇道の中に於てのみ見出され、汎くは東洋拐~の中に於て見出さるべきであらう。
 皇道に由る世界救濟こそ興亞の大業の核心であると信ずるが故に、私は諄い樣であるが敢へて重複を厭はすして、此の點を今少しく詳説して置きたいと思ふ。今や日本と謂はんよりも、東亞と謂はんよりも、實に世界を擧げての、有史以來未曾有の大變局に直面して居るのである。非常時は啻に日本だけではない。東亞だけではない、眞に世界人類を擧げての非常時であるのである。先年私が政黨解消を提唱して全國を行脚した時にも、獨り日本のみの非常時ではない、實に世界を擧げて空前の變局に臨んで居るのであると謂ふことを説き、其の対策を質しつつ、自分の意見をも述べて廻つたのである。支那事變が起つた、世人動もすれば日支の問題と謂ふ點に、餘りにも重點を置いて考へる傾があるが、私は一面より看れば、之も世界空前の大變局の一ツの症状でしかないと思ふ。遠からず歐洲大戰が勃發し、恐らく延いては第二の世界大戰に導いて行くのであらうと、私は此の數年來預言し警告して居たのであるが、遂に一九三九年九月兎も角第二次歐洲大戰が勃發した。日本は未だ此の大戰に介入して居らぬとも見得るのであるが、結局の處直接か間接に之に捲き込まれずには濟むまい。否、現在、已に世界全體が事實之に捲き込まれて居るのだとも謂はれないことはない。米國の如きは事實上早く既に交戰國の一つである。否、現に國家の全力を傾倒して援英政策を實行して居るのである。唯兵隊を歐洲に送らないだけである。
 煙硝の臭や大砲の音がせぬと戰爭と思はぬ人があるかも知れないが、達觀すれば煙硝の臭がしないから戰爭ではない、平時即ち平和であると思ふことは餘りにも皮相の觀である。前回の世界大戰の起る前には激烈な經濟戰が行はれた。偶々それが煙硝の臭のする戰爭形式に變つたに過ぎない。而して、ヴエルサイユ條約に依つて其の結末をつけたと或人達は思つたのであるが、私から見れば形こそ攣つたが本質的には依然「戰爭」が繼續して居たのである。例へば實際上今日の戰爭の一番大きな原因である經濟戰は、今回の英佛對獨戰爭の直前に於て、前回の歐洲大戰の前に此して一層猛烈に行はれて居たのである。一昨年の九月兵器に依る所謂戰爭の始まる迄、實にヴエルサイユ條約以後戰爭は實質的には熄んで居なかつたのである。然らば、斯かる悲慘なる戰爭(經濟戰をも含む)の根本原因は何かと謂へばそれは五十年來の驚くべき大發明と、人間の慾望殊に物慾とである。若し歐米人が今少し物慾に恬淡であつたならば、而して五十年來の前代未聞の發明、發見がなかつたならば、或は二十年前の世界大戰も、今回の歐洲戰爭もなかつたのではあるまいか。
 歐洲を主流とする現代文明は、唯狂暴的に發明・發見に驀進し、且人間の慾望、特に物質慾望を最も激しく刺戟し募らせつゝあるのである。其の結果が經濟戰を彌が上にも激成し、延いて暴力戰、即ち普通吾人の呼ぶところの戰爭に迄延び行かしめて居るのであつて、本質に於ては經濟戰も暴力戰(俗に謂ふ「戰爭」)も、其の間何等差はない。普通戰爭の主要原因は經濟戰であると言はれて居るが、私は經濟戰は煙硝の臭こそせぬが、本質的には所謂戰爭と解するものと同一であると思ふ。此の二者は原因結果の關係にはなくして、唯少し顔形の變つた兄弟分、否、同一人である。
 歐米文明は、一面に於て熱心に戰争防止を力説しながら、他面戰爭の主要原因たる物慾に就て、有效なる匡正方法を構じてゐない。否、却つて之を刺戟して巳まぬ。それでは所詮戰爭は防止出來ぬことだけは明らかである。而して、慾は人の心の中に在るのであるから、拐~的に之を克服すべきであるに拘らず、物に重點を置き、軍隊の數量や、武器の利鈍等に就て如何程論議しても、それでは到底目的を達し得る見込はない。之等は實のところ戰爭の原因ではない、寧ろ戰爭に伴なふ症状とでも謂ふべきものなのである。斯くの如く、心からではなく物の側から戰爭を克服しようとするのが、物質偏重に墮したる歐米文明の遣り口であつて、それでは所謂戰爭と謂ふものの止まる望はないと私は思ふ。況や、武備を張り其の威力に訴へて世界平和を確保しようなどゝは、政治屋の譫語にあらすんば、暴力戰爭準備の口實としての價値しかない言葉である。拐~方面から、人類の慾望特に物質的慾望を匡正する角度から問題を取扱はねば、平和確保といふ問題は所詮物にならぬと信ずる。而して更に、殆ど時間と空間とを抹殺せんとする前代未聞の科學的大發明・大發見それ自體と其の結果と、人間の傳統に繋がる感情と生存條件との調和と謂ふ如き、根本的諸問題の處理解決を企圖せずしては、到底望はあるまい。私は數十年來、現代文明は遠からす亡び行く運命のものではないかと謂ふ感想を懷き、さうした角度からも世界形勢の推移を眺めて居るのであるが、文明人の物慾は愈々募り、發明と發見は彌が上にも飛躍しつゝ、經濟戰は日を逐うて激烈となつて來た。それに我意、我執を押通す爲に用ふる暴力的手段方法は、科學の発達につれて空前の威力を發揮し來り、殊に兵器は以て人類自らを鏖殺するに足る底のものとなつたのである。ところで、道心は之に反比例してu々微かになつて來た。如何なる事にでも躊躇しない。人類は有史以來、未だ曾て斯かる危局に直面させられたことはないと私は思ふ。或は文明人間相互の殲滅戰は必至の蓮命ではあるまいか、とさへ考へさせられるのである。「さうに相違ない、最早助からぬ運命だから、まあ沒落殲滅の日の來る迄、少しでも多く人生を樂しむがよい、それ必外に手の下し樣はない」と謂ふならば、何をか謂はんやであるが、私は人間としてさう考へて宜しいかどうか凝ふ者である。よし現代文明の没落、文明人の滅亡が眼前に迫りつゝあると感じても、私は一個の人間として左樣な運命を免れる爲に最後の一瞬迄努力すべきではなからうか、之が人間として生れた義務、否、生物としての本能ではなからうかと思ふ。何だか哲理じみて來て、年諸君には難解ではないかと思ふが、之は人間として反省すべき大切な點であるから、よく味つて頂きたい。
 或は歐米人から見ると自惚も程があると笑ふかも知れぬが、沒落の途を急ぎつつある現代文明を匡救し、人類をして滅亡から免れしめ得る民族が此の地球上に在りとすれば、それは獨り我が大和民族のみであると謂ふのが、十六歳の頃からの私の信念である。併し、萬が一大和民族も所詮此の聖業には堪へぬと謂ふならば、最早現代文明は没落の運命を免れぬと信ずる。併し、大和民族はそれに堪へる、之が眞に我が民族の天から課せられた使命であると謂ふならば、大和民族が全人類に負ふところの義務は實に重且大なりと謂はねばならぬ。宜しく一大勇猛心を起し、不退轉の決意を以て、遠謀深慮、全人類に封する大慈悲心を發揮しなければならぬ。


     興亞の大任と吾等の覚悟


 私は此の皇國の世界救濟の大使命に想到する毎に、常に年のやうな拐~的興奮を感するので、一氣に結論を吐いてし立つたやうなことになつたが、尚加へて語りたいと思ふ。それは、以上の如き人類の救濟に迄及ぷ興亞の大業に當る資格が、果じて、現に見るが如き爲體(ていたらく)の日本人に、あるであらうかと謂ふ疑問に就てである。今日迄の日本の歴史は、明らかに過去の大和民族が有資格者であつたことを示して居る。今日の我々はどうであるか、大に反省して見なければならぬ。我々が反省すべきことの第一は、國民としても、個人としても、私利我慾、私心我執を去つて居るか、無我になり、無私、無慾になつて天皇に歸一し奉つて居るかどうか、と謂ふことでなければならぬ。歐米人を物質主義、個人主義と貶して居りながら、自らが我利我慾の虜になつて居りはせぬか。日本人も亦果して謬れる個人主義、自由主義の弊に陷つては、居ないか。日本拐~の、~髓たる忠孝に目覺めて居るか。此の非常時に直面しながら、國内の人心は果して眞に完全に統一され居るであらうか。
私が嘗て、政黨解消を唱へつゝ全國に行脚を試みた最大目的の一つは、總へての對立を一掃し國民輿論の統一に力を致すと謂ふことにあつたのである。兎も角政黨は形式上一應は解消され、今や、全國民と政府、軍官民を一體として結合すべき新政治體制が生まれんとして居るが、我々は其の基礎の上に強力に統一された國是・國策・國論の樹立を、痛切強烈に希求して已まない。歐洲戰局の見通しを、しかと付けることは困難であるが、少くとも今日迄の經過に於ては、獨逸の電光石火の攻撃と、其の連戰連勝の戰果とは、眞に驚嘆に値するものがある。と同時に、佛は既に敗北し、英は抗戰に大童になつてゐるが、其の立遅れは蔽ふべからざる事實である。而して、此の獨逸の成功は、武器と戰術の優秀もさることながら、專ら拐~の力であるとは、ヒットラー總統の世界に誇るところであり、又佛の敗退は、謬れる自由主義と小黨分立に基づく國内の不統一に因由するとはレイノー首相やペタン老首相の率直に認むるところである。英國は英國で、久しき傳統を誇つた自由主義の國是をかなぐり捨て急速に徹底的に總動員體制を整へ、以て獨軍の本土上陸を防止せんと焦つて居るのである。萬邦無比、純粹完全な全體主義の國體を持ち、畏くも現御~と齋き奉る 天皇を上に戴く日本國民が、其の人心の統一に於て上下の一致協力に於て、無私奉公の拐~に於て、將た叉國策の確立の不動に於て、假にもナチス獨逸に劣るが如きことあらば、昭和の民は、何を以て父親の靈に對することが出來るであらうか。國民一殘らず天地~明の御前に額づき、畏れ戰いて魂の入替を願はなければ、興亞の大業の完成はさて置き、祖國を危殆に陷れることすら、絶對にないとは保證し兼ねるのである。
 興亞の大業を賦課された我々日本國民は實に猛省一番を要する。總べての個人、總べての黨派、すべての派閥は、殘らず其の自己本位を徹底猿Zし、隨~の絶對無私に還元し 今上陛下の大御心のまにまに國論を統一し、内に於ては昭和維新を斷行して、眞に強力なる革新體制を整へると共に、外に向つては狐疑逡巡を排し、追隨外交の傳統を揚棄して、東亞の守護者、文明の救濟者たる自信の下に、堂々と世界の危局に處さねばならぬ。日本が、此の斷乎たる決意、嚴然たる信念、強靭なる實力を中華民國竝其の他の東亞諸國に對し、又歐米に對して示し得ざる限り、支那事變處理・東亞新秩序建設、乃至大東亞共榮圏樹立の望は絶對にない。況や文明の救濟に於てをやである。立看板や、ポスターや、掛聲によつて大事の解決された例は、日本には未だ曾てない、否、何處の國にもそんなことはあり得ないのである。
 以上は、興亞の大任を擔ふ日本國民が、今日直に敢行せねばならぬ重大要件を説いたのであるが、隣邦同胞に對しては、我々は眞の兄弟愛を以て臨み、苟も傲慢不遜の態度を示してはならぬ。現代の中華民國人のやうに不幸な國民は、世界に多くはゐないと謂ひ得るのである。彼等は世界稀なる古く長い文化の傳統を持ち、それを誇りとする優越意識の極めて強い民族である。而も少くとも過去百年間の支那の外交史は、屈辱と敗退との歴史である。そして、彼等自身の間違つた意識によれば、既に述べたやうに、時間的にも地域的にも、最近の侵入者は日本であると思つて居るのである。それが無根據であらうとも、彼等はそれを信じ、彼等の或者は日本をやつつける爲ならば如何なる犠牲を拂つてもよいとさへ考へて居るのである。更に彼等は普から日本人を東夷と呼び、倭奴と稱して劣等視し來つて居るのである。彼等は舊家の者が成上り者を見るが如き眼を以て日本人を見るのである。而も彼等は維新以後七十年間に於ける、日本の驚くべき躍進發展と國力の伸張とを見て、驚歎する一方非常なる脅威を感じ、日本に對しては被害妄想患者的な弱小意識を持つて居るのである。從つて、總べての中華民國人が俄に雙手を擴げて我等を歡迎すると考へる日本人があるとすれば、それは餘程自惚かお人好しだと謂はねばならぬ。現在のところ、彼等は一般に日本人を恨み、憎み、疑つて居ると考へることが常識である。從つて我々日本人は、常に大國民の襟度を以て彼等に對し、敢へて優越を誇示することなく、彼等の僻みや猜疑心を勞つてやるだけの雅懷と親切心を持たねばならないのである。そして、日本人は常に個人としても國民としても、寔に尊嚴に値するものであり、軍人も、官吏も學者も、商人も、日本人たる限り信ョするに足り、力とするに足る人間であることを、實行を以て彼等に體認せしめねばならない。
 中華民國人に對して兄弟愛を持つことの必要を私は説いたが、それにもまして大切なることは、信を彼等の腹中に置き、興亞の同志として彼等を對等に扱ふことである。中華民國人の心を勞れと私の謂つたのは、つまり此の信ョと對等扱ひによつて、彼等の自尊心を傷つけないやうにすることを意味するのである。それと同時に、我々は假にも彼等の前に自らを卑下し、彼等を甘やかしてはならぬと謂ふことにも注意したい。日本人は、外人に對する場合、ともすれば謙讓を通り越して、自己卑下に陷る癖がある。支那を訪ふ日本人は、學者も俗人も、口を開けば直ちに日本は文化に於ては支那の弟子であるから、何とかして學恩を返さねばならぬと謂ふやうなことを謂ふのである。日本の文化が支那に負ふものあるは事實であり、千年以上も前に日本が支那の弟子であつたことも亦事實であるが、日本の文化は大和民族の創意から生れた獨自の文化であつて、支那人からの借りものではないのである。よい加減な其の場限りのお世辭を謂つて、彼等の自惚や、
自大思想や、保守主義に油を注ぐことは、良き友人としては絶對に慎まねばならぬことである。支那は實に之等の缺點の爲に今日の衰運を招いたのだと謂ふことを忘れず、彼等の短を戒め長を伸ばすやうにするのが、眞に彼等を愛する所以である。
 それと共に、日本は國家として強い武力を持ち、歐米に優る科學を持ち、良質の文明を持ち、品格の高い社會生活を持ち、何れの點から見ても歐米諸國に立優つた文化國民であることを示さねばならぬ。と謂ふことは見せかけるのではなくして、それを總べての點に於て、日本は一日も速に歐米の何れの國に比しても數等優る實質を備へた國家となり、國民となることが必要であり、國を擧げてそれに邁進せねばならないのである。
 特に日本人のコ性が世界に冠絶せるものであることを知るならば、支那人は自らにして其のコ風に靡くのである。
 尚、上述の如き日支間に於ける融和と結合の關係は、獨り日支間に於て要請されるばかりでなく、廣く日滿支と南洋諸國をも包含したる、大東亞諸民族間にも植付けられねばならぬことを痛感する。蓋し是れは實に多年東亞に加へられた歐米勢力の桎梏から東亞を解放し、進んで大東亞の發展興隆を成就せしむる基本條件だからである。東亞が久しく歐米勢力の桎梏下に、其の搾取を甘受しなければならなかつた大きな原因の一つは、過去の日支關係に於ても見らるる如く、東亞民族が東亞民族たるの共同意識を缺き、互に排斥爭鬪を事として居た點にあるのである。正に其の第一歩を踏出した東亞新秩序建設運動は、政治的に經濟的に將た國防的に、白人種ブロックより東亞を獨立興隆せしめんとするものであるが、此の大事業がさう簡単に成就すると思ふならば、それは大きな思ひ違ひである。我々は今後幾多の盤根錯節にぶつつかることを覺悟せねばならぬ。而も事の成就すると否とは東亞諸民族の心構次第にあると思ふ。換言すれば東亞共同意識の育成が何物にも優つて先行さるべきである。我々は此の點に於て、東亞諸國間に於ける各民族の融和結合運動、乃至文化竝ヘ育の隔意なき交換運動が、飛躍的に展開せられんことを希求して巳まない者である。是れ實に我國と中華民國間の新協定に於て、特に文化提携の強調された所以でもある。繰返して謂ふ、東亞民族の心の問題に触れすして東亞の安定興隆はないと。
 最後に、興亞の大業完遂に對しては、歐米を總擧げにしての妨害と抵抗とが一應は豫想されることを忘れてはならない。興亞の大業は、歐米列強をして謂はしむれば、亞細亞の反逆であり、大東亞の新秩序は歐米本位の舊秩序の破壊である以上は、利害相反することは明白だからである。私としては飽迄も、斯かる考の甚だ淺薄にして、來るべき世界全體の新秩序も亦詮ずるところ諸國民・諸民族の解放と謂ふ八紘一宇の大拐~によらなければならぬ事を悟らしめ、窮極するところ大東亞共榮圏の建設により、彼等も却つて利するところ多き所以を納得せしめなければならぬと思ふのである。併し、歐洲大戰が如何なる形に於て收まるとしても、押寄せて來るものは、少くとも歐米其々國の妨害であり對抗であるに違ひない。勿論日本が孤立無援に陷り國際場裡から締出しを喰はざる爲め外交工作は必要であるし、又外交上其の餘地は十分あると思はれるが、否現に日獨伊三國同盟の成立により、歐洲にある兩友邦は、大東亞に於ける日本の指導的地位を認めたのであつて、之は私の口からは謂ひ難いが、我が外交の一つの成功であると信ずるが、東亞に關する限り我々は一切の外力をョみとすることなく、假令世界を擧げて反對し來つても、日本は敢然として、肇國の理想たる八紘一宇の大義を宇内に布く第一歩として興亞の大業完成の初志を貫徹すると謂ふ覺悟と、全世界を敵としても戰ひ抜くといふ底の用意とが、日本國民に絶對必要である。
 私は、興亞の大業の完成の爲には、日本は全世界を敵としても我ひ抜く覺悟がなければならぬことを説いたのであるが、それは歐米に對して東亞から締出しを喰はせると謂ふことを意味するものではない。東亞の新秩序が、歐米人の誤解するが如く、支那大陸乃至大東亞共榮圏内に於ける日本の經濟的獨占を意味するものであるならば、支那事變の聖戰たる所以を誇ることも出來ず、興亞の大業を誇ることも出來ない。それは歐米の帝國主義に換ふるに日本の帝國主義を以てしただけのことであつて、日本が歐米の物慾主義を露骨に學び、東亞をして物慾相打つ修羅場たらしむることである。それでは皇道を世界に光被せしむることも、人類を救濟することも望めないのである。日本は、東亞新秩序の最低條件として舊來の歐米資本主義の支那制壓を徹底的に排除し、進んで全東洋に於ける白人制覇の粉碎を期するものではあるが、將來に於ける彼等の節度ある經濟発展や、大東亞圏内に於ける資源開發への合理的な協力迄を拒否するものであつてはならないのである。否、大東亞共榮圏内に於ける豊富な資源の開發には、大に歐米諸國の協力を必要とするのである。我々は利己主義・物慾主義・自我中心主義の歐米の世界征服の不正不義を惡むが故に、東亞を奴隷として繋ぐ鐵鎖のある限り、之を斷截せざるを得ないのであるが、既に之を摧破し去つて、總べての東亞民族に其の處を得せしめた後に於ては、決して、歐米の物慾主義的獨占を學んで大東亞圏内の何處にも不自然なる障壁を築くことをしてはならないのである。大東亞の新秩序に於て、我等は、天然資源と世界市場との公平なる配分は如何にあらねばならぬかを、世界に向つて正しくヘへる用意を持たねばならぬ。人類全體の福祉の爲に、地球上の限られたる土地と資源とは、如何に正しく配分され利用開發されねばならぬかを示し得る。ものは、拐~主義・厚生本位の皇道經濟の原理あるのみだからである。而して、斯くの如き道義に基づける新東亞經濟體制の確立により、日滿支は勿論、南太平洋を含めた大東亞共榮圏内に於ける、東亞諸民族の生産力は急速度に躍進し、流通部面は飛躍的に擴大して、東亞諸民族の生活は空前の向上線を辿ることとならう。又斯くて東亞の諸民族は、茲に始めて長き植民地の繋縛から開放されたる、眞の物質的基礎を獲得するに至るべきを確信するものである。而して斯くなつてこそ歐米も此の圏内から恒久的に眞の利益、從來に比して幾層倍、幾十倍するやうな利uを享くることが出來るのである。
 思ふに、斯のやうな各民族の道義的結合は、實に人類史發展の一大時期を劃する動向であり、世界秩序再建の方向を暗示するものである。此の場合各民族國家は其の存在理由を失ふのではなく、寧ろ反對に夫々の自立的存在と發展とが尊重され、其の確乎たる基礎の上に協同關係が個性化され、眞に強靭な道徳的紐帶を得るのである。從來民族の血の~話と獨逸民族の絶對性を説いて居たローゼンベルグの如きも、今や歐洲協同體論を強調し、獨逸の現實竝將來の政策も亦、全體主義から協同主義への轉向を示さんとして居るのは、東亞新秩序の建設乃至大東亞共榮圏の樹立に驀進しつつある我國としては、注目すべき事柄と謂はねばならぬ。歐洲協同體が獨逸により如何に實現さるべきかは問ふところではない。日本としては、先づ以て、唯皇國日本に於てのみ其の實現の可能なる眞の全體主義、即ち暴力や強制によらざる「萬民が心の底から喜悦し悦服して 天皇に歸一し奉る」と謂ふ、世界に一あつて二なき全體主義の實現たる國内體制を一日も速に整へ、東亞新秩序の建設乃至大東亞共榮圏の樹立に邁進し、世界に先驅して新秩序の建設を指導すると謂ふ大抱負大覺悟がなければならぬ。
 以上大略ながら、興亞の大業の由來・意義・對策等を、日本の維新以來の大陸發展の史實と、世界の大勢とに照らして略述したのであるが、顧みて我等の祖國が今や空前の危局に臨んで居ることを思ふ時、眞に深い憂を抱き堅い決心を持たなければならぬことを痛感する。餘りにも大膽な豫斷であると評せられるかも知れないが、私は或は此の二三年で世界人類(一定水準以上の現代文明人の綜合を指す)の運命(其の運命の輪郭若くは基礎)が決せられるのではあるまいかとさへ考へるのである。即ち文明國の一として現に地球上に國をなせる日本の運命、更に東亞の運命も亦、一般世界の運命に繋がりて決せられることは免れまい。私は我が國民に今少し此の點を本當に把握して貰ひたいと思ふ。兎に角斯やうな感想を懷きつつ我が現下の國情を見る時、眞に深憂を抱く者は私のみではあるまい。現に見るが如き此の國の爲體で、一體此の空前の世界大變局に善處することが果して出來るであらうか。私は運命論的若は信仰的には然り、出來るだらうと答へるが、唯それだけで以て泰然自若として晝寝することは私の爲し得ないところである。寧ろ憂を先にする義務がお互にあると思ふ。唯日本だけではない、實に有史以來の世界全人類を擧げての空前の大變局にあるといふことに、我が國民殊に私が其の上にのみ常に豊を懸ける年諸君が一日も早く覺醒し、此の自覺の下に擧國天に沖する火柱となつて、興亞の大業に向つて邁進せんことを切望して已まない。光は東方からである。